3.11で卒業式がなくなった時のことを振り返る

今の社会事情で、卒業式や入学式が中止になった人たちはたくさんいると思います。

僕も9年前に卒業式を控えていました立場でしたが、3.11の東日本大震災の影響を受けて卒業式はなくなりました。

その時の気持ちを振り返ってみようと思うのですが、最初に断っておくと「卒業式がなくなって悲しい~どうしてもやりたかった~」という気持ちを持っている人には恐らく合わない内容になっていると思いますので、そのような方には戻る今のうちにボタンを押していただきたい。

 

卒業式がなくなって、悲しみとかは、ない

冒頭で説明した通り、僕は3.11による卒業式がなくなった者の一人です。その時僕がなくしたのは大学の卒業式ですので、すでに成人していますし、学校とうシステム自体にほとんど思い入れはありませんでしたので、結論から言うと、まったく悲しくなかったし、卒業式がなくなったこと自体はどうでもよかったです。

こんなことを言うと、中高生だったり、大学生活も楽しかった人たちは反発するかもしれませんが、中高の卒業式だって僕は全く覚えていませんし、楽しみににしていた記憶は全くありません。

 

卒業式が楽しみでやりたかったーなんていう人たちはおそらくスクールカーストでも上位の人達で、クラスでも人気ものだったのでしょう。うらやましいです。

中高も学校の端っこで目立たずに生き、大学は部活にのみ価値を見出していた僕にとって、学校という箱自体はほとんど思い入れはありませんでしたので、学校行事なんてどうでもよかったです。

だから学校というシステムに何の思い入れもありません。

 

僕にとっての卒業式は仲間との飲み会だった

大事なのは深い仲になっていた友人数人だけで、彼らとは連絡先を交換していたし、実際にその後も交流しているので、最後などという感慨は全くありませんでした。

そんな理由もあって、実は3.11の時の卒業式には、僕は最初から出るつもりはなく、卒業証書だけもらって、友人と酒を飲みながら思い出に話に花を咲かせるつもりでした。

 

結局卒業式は中止になりましたが、行きつけの飲み屋がお店を開放してくれて、僕らは仲の良い友人たちと酒盛りをすることができました。僕にとってはその酒盛りこそが卒業式だったわけです。

その酒盛りができたからこそ、卒業式がなくなってもどうとも思わないわけで、あの時の酒盛りがなかったら、もしかしたら悲しいと思っていたのかもしれません。

 

ステークホルダーとの卒業式をしたらいい

小学校から大学まで、15年近くの学生生活を送るわけですが、その中で今でも交流がある人なんて一握りです。だから集まって何かをすること自体に僕はほとんと価値を見出しませんし、それは今でもそうです。

だから僕が言いたいのは学校が用意した学校の卒業式にこだわらなくていいよねってことです。

卒業というのは人生にとっては大きな節目になります。自分の中でどう区切りをつけるのか、それはとても大事なことだと思います。だからその人にとっても卒業式は、あっていいと思います。

もっと言えば、卒業する側だけでなく、それを取り囲むステークホルダーにとっても一つの区切りになります。

だからいつか、ステークホルダーとの卒業式をしたらいいと思うんです。今オンラインでやってもいいし、落ち着いてからやってもいい。

 

結論:卒業式をやりたいのは誰か

いやーしかし、なくなった卒業式の時のことはめちゃくちゃ覚えてるのに、他ちゃんとやったであろう卒業式は全く覚えてない。本当に会ったのかと言われてYESと答えられないくらい覚えてない。卒業式以外のことは覚えてるので、単純に年数の問題じゃないのは間違いないです。

まあつまり僕がいいたいのは、卒業する側からしたら、別に体育館に全員集まって卒業証書渡されるとかどうでもよくて、思い出の共有できる仲間たちとの思いでを大切にしようよってことだし、必死に卒業式や入学式開催しなきゃって思ってる先生たちには、それは先生たちのためであって生徒的にはなくなったっていいですよ、ということですかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりにちゃんとした文章を書こうと思って

ついでにブログを移しました

元々はWordPressだったんですけど、はてなに移しました。多分この移し方をする人は少数派だと思います。

僕がWordPressでやってたのは、ドメインとってサーバーにサイトを作る勉強目的で、アフィのためじゃなかったので、趣味で更新するだけならWordPressじゃないほうが楽だと思ったのが今回の理由です。

 

デフォルトの方がいいよねな感覚になった

いざ移そうと思うと、感覚も結構変わったなということに気づくんです。昔はカスタマイズに精を出したりして、よくわからないけどオリジナリティみたいなものを求めたりしたんですけど、今は完全に「結局は中身だ」という感覚です。

クラウドだったりプラットフォーム上に情報を載せるのが一般的になったし、情報のアウトプットが一般的になってきた結果、カスタマイズしてるもののほうが少数派になってきた気がしてるんです。昔はデフォルトから変えるのが当たり前だったのが、今はデフォルトが当たり前みたいな。

 

はてなにしたのは、デフォルトのデザインがはてなだよねってすぐわかるくらい完成されているからです。

 

見たよという言葉をもらった

ちゃんとした文章を書こうと思ったのは、小学生かよってくらい単純な理由で、知人にブログ見たって言われたからです。

最近は全然更新でなくて放置になってて、ひっそりとtwitterのプロフィールにリンクが貼ってある程度の存在だったので、まさか見る人がいるなんて思ってませんでした。

元より文章を書くのは好きなので、久しぶりに書き記していこうと思います。

 

 

 

 

歩くVRやったらめちゃくちゃ怖かったけどめちゃくちゃ面白かった

先日初めて歩くタイプのVRをやったんですよ。 ゴーグルつけてセンサーを背負って実際に自分の足で歩きながらやるVRです。 VRはハコスコで映像を見たくらいしかやったことなくて自分が動くタイプのVRやりたいなーとは思ってたんですけど、なかなかやれてなかったんですよ。 先日お友達とテニスの試合に出た後に、ほかの友第と合流して飲みに行くまでに、結構な時間が開いたので急遽行ってきました。 体験型のVRってすごいリアル感があるって聞いてたので結構楽しみにしてました。

戦いの舞台は秋葉原

突撃先は秋葉原のゲームセンター、セガ3号館 そのあとの飲み会が東京駅周辺の予定だったので、行きやすいところで調べて出てきたのが秋葉原でした。 やったのはMORTAL BLITZというVRゲーム。 ゲーム内容は、襲ってくるゾンビを銃で倒していくFPSという、まあありがちなゲームです。

ゴーグルとヘッドホンを身に着けるて、さらにセンサーや電源っぽいバックパックを背負います。 こんな感じです。これは一緒に行ったお友達ですが。 そして忘れちゃいけない銃。これでゾンビを打ち倒します。銃自体は自分では見えないので万が一落としてしまったら拾えなくて一方的にゾンビに食い殺されるから注意ですw で、そこそこ大きめのスペースをそのまま歩きます。広さ的には3×5メートルくらいかな?完全なる感覚ですが。

思ってたよりはすごくないのかな?VR・・・

急遽行ったけど30分あるかないかくらいの待ち時間で済みました。 一度にプレイできる人数は3人までのようです。自分たちの待ち時間にプレイしていたのは外国の人か女の人が多かったですね。 見てると、みんな結構淡々とプレイしてるんですよ。一人だけ女の子がすげー叫んでただけで、他はみんな声も発さないし棒立ちでプレイしてるんですよ。 だから、リアルと言っても、「思ってるよりはリアル感ある程度」なのかなーって思ってました。

いざプレイした感想は・・・!

さて、ほどなくして自分のプレイの順番が来ました。 これ、結論から言うと。

めちゃくちゃ怖かった!ものすごいリアルですよ。正直ちょっと舐めてました。こんなに怖いと思ってなかったです! もうね、怖くすぎて、足すくんじゃいましたよ。

高所に!!!!!

ゾンビじゃなくて高所が怖い!半端なく!! もともと高所恐怖症だから、本当は平らな地面に立っているって頭ではわかっていてもめちゃくちゃ怖い。それくらいリアルなんですよ。 途中マジでリタイアするかと思いましたよ。 何度も頭の中で「本当は平らな地面に立っているだけ!」って思うことによって乗り越えました。 本当は足場が平らってわかっていてこんだけビビるんだから、リアルに足場がないフォレストアドベンチャーは絶対無理だなってことがよくわかりました。

こええええええって声も出るし、ゾンビが攻撃してきたら反射的に結構体動いちゃうし、しゃがんだりもしてました。 あの淡々としてた人達は一体どういう精神状態で淡々とプレイできたのだろうか。。。。今でも不思議でならない。。。

VR、なんとなく未来がありそうだと思ってたけど、ものすごく未来がありそう

想定してよりはるかに感覚をもっていかれました。ものすごく見えている世界観にリアリティがありました。 脳が勝手に慣性を補完してしまって逆に違和感があるくらいにはリアルでした。

VRe-sportsは将来的に来そうだし、ワンチャンあればやってみたいなと思いました。

他にも今はまだゲームユーズしかありませんけど、将来的にいろんな使い道が出てくるような気がしました。 会議ですら、遠方の時は音声だけじゃなくてわざわざテレビ会議でやるくらいなので、同時出力で相互VRでやれたらニーズありそうな気がしました。

新しいものはとりあえずで触れておこうと思っているのですが、VRも触れておいてよかったなと思いました。 久しぶりに文章書いたのでほんとただの感想日記で終わってしまったw

ほぼ日CFOの話がめちゃくちゃ刺さりすぎた

みなさんこんばんは。

先日読んだログミーの記事がすごく刺さったので、自分の中で思ったことを整理しがてら、記事を書いてみました。 該当の記事がこちらです。ほぼ日CFO「失敗からは学べない」マッキンゼー時代の突然の退職勧告を振り返る ほぼ日のCFOの篠田さんという方のトークの中で出てきた話です。 ログミーのタイトルにもなっていますが「失敗からは学べない」という内容。

内容自体はログミーの記事を読んでもらいたいと思います。

成功は大変だということ

僕が今回すごく刺さったのって、篠田さんが引用したピーター・ティールの著書の内容がすごくわかりやすかったからです。 その部分が 『成功ってけっこう大変なことなので、うまくいくのに大事な要因が5つあるとするじゃないですか。5つ全部おさえないと成功にならないわけです。 1つでも外したら失敗なわけですよ。そうすると、失敗経験だけだと「なんで失敗したのかな」は本当にはわからない。なんかこうかなっていう自分なりの仮説とかはあるけども、本当にはわからない。 成功してみて「この5つをすべて押さえると初めて成功なのね」とわかった上で、その失敗経験と照らして初めて「これがいけなかったんだ」とわかります。』 という部分です。

僕もよく、失敗から学べとか反省しろとか改善とかって言われてきましたなあと思いまして。 いや、それ反省して改善してるけど全然だめじゃん、そう思うこともありました。

その正体がこれなんだと。

「成功の要素は1つじゃない」

一個でも外したらそれは失敗なんだ。 ということは逆に、一つの失敗をいくら反省して改善したって、それじゃいつまでたっても成功なんてしないってことなんだなと。

それがすごく腑に落ちました。 誰だって失敗は嫌だから、失敗したことって、改善していくんです。 次は回避するんです。

だけど成功しない。

その理由が、「全ての要素で失敗を回避しないといけない」だといわれたら、すごく納得しました。 だから成功者って圧倒的に少ないんだろうなと思いました。

失敗して反省して、次回それが失敗しなかったとして、それはイコール成功ではない。 残念ながら。 そうやって一個ずつ失敗をつぶしていっても、全部を同時に失敗しないというのは、ものすごく難しいことです。

失敗し続けてもやりつづけたら成功するんだと思っていましたが。 失敗を反省して改善し続けたから成功するのではなく。 失敗してもチャレンジをし続けたから、どこかでたまたま成功した、こういうことなんだと思いました。

改めて考えてみると、成功した時程、成功したという事実に満足しちゃって、成功から学ぶとか、分析するということをしない人が多いように感じます。 成功した瞬間ってそれ自体がすごく気持ちよくて快感で、ついそれで満足してしまったり。 あるいはそれを目標に掲げていたから成功の瞬間ゴールしちゃったり。入学ゴールみたいな。

確かに運やタイミングという要素が成功に与える影響は大きいと思うのですが、運やタイミングだけで成功することはほぼありません。何かしらの行動や種まきが結びついて成功に至るわけです。 だけど、大なり小なり成功であることを振り返って学んでいくということを、僕自身あまりしていなかったなということを感じました。

結局失敗から得られることは、「こうすると失敗する」ということに他ならないのですね。失敗した段階では、「この失敗を改善したら成功する」は約束されていないわけですから。とすると、失敗したという事実を再認識するだけであって、学びは何もないのと同じだと言えます。 成功をパターン化して、ほかにも転用できる状態を作って初めて次の成功につながる。 だから成功して初めて学びがあるということですね。

これからは考え方を変えて、成功に注目しようと思いました。

実際に自分の成功を振り返ってみた

というわけで、改めて自分の中で一番の成功だと思われることも振り返ってみようと思います。 僕の中で一番の成功と言えば、大学のテニス部で僕が幹部をしていた時の団体戦優勝じゃないかと思います。

改めて考えてみると成功の要素ってすごく難しいです。。。 とりあえず無理やり3つ挙げてみました。

1.部員が多かったこと 2.一年生を入部当初からレギュラーとして事実上登用したこと 3.一番の強敵を唯一のホームで迎えられた

簡単に解説していきます。 1.部員が多かったこと 僕の部活は同大学のしかも理系学生が対象であり、他の大学から引き抜きとかは行いません。なので部員は集まりにくいのです。現在の部活でいうと、各学年平均5~6人くらいです。 しかし僕の時はメインボリュームとなる2,3年がそれぞれ20人くらいしました。 人数が多いということは、まずそれだけで層が厚くなります。今も当時も部員の成長の度合いが同じだとしても、絶対値そのものは人数が多いほうが圧倒的に有利です。 同時に部内で争いが起こります。現在の部活でいうと、下手したら初心者でもレギュラーになることも珍しくありませんが、僕の時は対外で勝てる力があってもレギュラーになれませんでした。 やはり層の厚さ=人数の多さというのは、上澄みだけをとる組織力においては圧倒的に有利であるように思います。

2. 1年生を入部当初からレギュラーとして事実上登用したこと

これはそれまでの部内マナー、暗黙のルールを違反したような事例です。体育会にありがちな話で1年生は夏を過ぎるくらいまでは、対外試合に出られないどころかレギュラー構想にすら入らないのです。が、僕らの時には非常に有望な1年生が入ってきたということで、また対外試合に出られない頃から、レギュラーになる前提でダブルスのペアを組みかえることを決めていました。 日本特有の上下関係に馴染みのない人にはわからないかもしれませんが、古き良き日本の大企業がいきなり外資企業みたいな人材配置をしたようなものです。すぐにやめてしまうリスクもあったわけですが、結果的に急造ダブルスにならなかったので、やはりこの戦略は成功だったと思います。

3. 一番の強敵を唯一のホームで迎えられた

最後はものすごくピンポイントな内容です。団体戦はリーグ戦で、(僕らの時は)全3チームを相手に、それぞれ自分たちのホームコートまたは相手のホームコートのいずれかで戦うことになります。 僕らは全3戦のうち、2試合がビジター、1試合だけがホームという、環境的には不利だったのですが、その唯一のホーム試合で一番の強敵を迎えることができました。結果的にその条件でギリギリ勝つことができたので、これが相手に地の利があるコートで戦っていたら、負けていたのではないかと思います。

この3つだけかと言えばそれだけではないような気がしますし、これが成功の要素だったかと言うと違うかもしれません。 でも、「ダメなところを挙げろ」と言われたらいくらでも出てくるのに。「よかったところを挙げろ」と言われると途端に何も出てこない人が多いように感じます。 僕も現在の部活に何をアドバイスしてあげられるかと言えば、失敗点の反省ばかりのような気がしました。 そんなことよりもどうすれば成功できるのか、その方がはるかに有用であるように思いなおしました。

成功者から学ぶ意味

成功者から学ぶっていうのはこういうことなんだと思います。自分がまだしたことのない成功を収めるには、他人の成功から学ぶしかない。 まずはピーター・ティールの本を読もうと思いました。

転職して生活が変わりました

こんにちは。

気がつけば4月になり、花も散り始めてしまいました。 ワタクシこの3ヶ月、ブログの更新をサボっておりました。 わざとサボっていたわけではなく、忙しさを言い訳にしてサボっておりました。 転職して5ヶ月、以前とすっかり生活が変わりました。

そんなわけで、今回は転職して何がどう変わったのかをまとめてみました。

さて、前情報として、去年の秋口にいわゆる大手企業から、社員100人ちょっと設立10年未満のベンチャー的な企業に転職をしました。なのでそういう目線で見てもらえばと思います。

①仕事の量と密度が増えた なんといってもこれ。 ネタ抜きで前の会社の5倍は仕事が目の前にあります。そして一つ一つの期限は1/5くらいに短い。結果仕事の密度が尋常じゃなく上がりました。いろいろ仕組みが整ってないから単純にやることが多いしのと、人が少ないから一人一人がいろいろやらないといけなくなりました。 5倍、というのは本当に大袈裟ではなくて、自分の場合、前の会社が暇だったせいです。1年のうち8割くらいは暇で、特に夏は酷く、1日の半分はネットサーフィンをしていても十分にやっていけました。Twitterは5分に1回リロード、ラインの返信も瞬間的でした。 大企業みたいなところにいると、企画系と言われる部署ですらマニュアル通りというかルーティンな仕事が多いから、時間が長くなるかどうかは、自己満足をどこまでするかと、上司が行き当たりばったりで指示をするか、上司が細かい資料の直しが大好きかどうかの影響がほとんどです。そういうのが回避されてしまうと暇以外の何物でもなくなります。

②朝が快適になった 今の会社は朝10時くらいに出社すればよく、若干家からも近くなったので、これまでより1時間以上余裕ができました。 おかげで満員電車に乗ることがなくなり朝がとても快適になりました。もう満員電車に戻る自信がありません。 副作用として、夜も遅くなりました。帰る時間も遅くなったし、寝る時間も遅くなりました。おかげで晩御飯を食べる時間が0時を過ぎることが大変多くなりました。 その分帰りに寄り道をする時間は減りました。

③コミュニケーションに震える 社員が少ないから役職がほとんどなくて、縦構造がめっちゃ短くなりました。そしてコミュニケーションの質も、学生がイメージするようなコミュニケーションに近づきました。「誰とでも仲良くなれる人がコミュニケーション能力が高い」みたいなアレです。 おかげで大手企業で最優先だった「この案件では○○常務が一番偉いから、この人のご機嫌をとっておけばいい」みたいな虎の威を借る狐戦法は一切使えず、人見知りの僕は全力でコミュニケーションおばけみたいな人達に震えることになりました。 何にでも「YES」で答えるのが優秀だった環境から、「NO」と言うべき時は言うのが優秀な環境に変わりました。

④心機一転髪型を変えた 最後に大変個人的なことですが、心機一転ということもあって、髪型を変えました。 こう言うと、だいたいはバッサリ切ったって思われがちなんですけど、僕は元々が体育会だったので超短く(割と何ミリとかそういう世界)、これ以上切りようがなかったので、逆に伸ばすことにしました。 最近、「10年ぶりくらいに前髪がある!!」いう戸惑いがありましたが、ようやく慣れてきました。

2016年のテーマを振り返る

2016年もまもなく終わりが近づきました。 皆さんは来年の目標を立てましたか? 僕は立てていません。聞いといておいて笑。

1年の目標は立てません

ただ、やりたいことがないから目標を立てないわけじゃないんですよ。 いわゆる「1年の目標」みたいなものは立てないようにしています。 1年という期間は長すぎてだれるし、本当にやりたいなら年始なんて待たずに今すぐ目標にすればいい。 僕にとって「1年の目標」は、慣習的に目標を「立てる」ことが目的になってしまい、立てた時点で満足してしまうものなので、立てないようにしています。

目標は立てます

だから目標自体は今年もちゃんとたくさんありました。 テニスは市民大会に出て、Bクラスでベスト4を目標にしてたのですが、優勝することができました。 ブログも開設したし、動画のアップも(今月ちょっと忙しかったから積んだけど)行うことができました。この辺りは今後は定期的にちゃんと続けることが目標になりそうです。 炭水化物と体脂肪率を減らす目標も達成しました。全盛期まではいかないものの大学の4年くらいの水準に戻りました。 その一方で達成できなかった目標もたくさんあります。

僕が立てるのは1年のテーマ

さて、「1年の目標」は立てませんが、そのかわり、過去の振り返りと未来の考え直しのタイミングとして、「1年のテーマ」を考えます。自分がこの1年どう進んできたのか、そのまま進んでいくとどうなるだろうかというのを考えたりします。人生の整理みたいなものだと考えています。人生は長くて目標みたいに短期的なものではないので、「テーマ」というのは割としっくりくるかな、と思っています。

2016年のテーマは「好きなことと生きること」

2016年のテーマは「好きなことと生きること」でした。 「好きなことして生きていく」という言葉はユーチュバーの代名詞みたいな言葉ですが、今年に入る時点で僕もその通りだと思いました。ユーチュバーになるということではありませんよ? 定年が延びて60過ぎても働かなきゃいけないと言われてるようになりました。そういう中で60過ぎても働くって体力的にも精神的に簡単なことではないし、求められる人材にもならないといけないなと思います。それはつまり、自分自身の市場価値を高めるということだと思います。言われたことだけやっていたら市場価値はなかなか高まらないので、自分の中で武器を作らなきゃいけない。それは好きなことや得意なことの中にあると思います。自分の好きなことや得意なことは一体どういうことで、それをどうビジネスにつなげられるのかを、ちゃんと考えていこう、というのが2016年のテーマでした。

結果的にはそれが見つかったということではないんですけど、でも方向性は見えたし、そうやって考えてみると意外と活かせるものがあることもわかりました。常に時代が変化する中で、自分の得意を意識しておくことが大事だと思います。

2017年のテーマは?

さて、もう間もなく2017年です。 結果的に2016年のテーマは、思ったとの違っていて、「未知の自分を発見する」がしっくりくるように思います。 転職した時の状況もそうですが、いろんなことにちゃんと向き合ってみた結果、自分でもそれまで全然知らなかった自分が見つかりました。それがあまりにも衝撃的すぎて、本来のテーマも結構果たすことができたにも関わらず、上書きされました。でもあくまでテーマであって目標ではないので、そういう流動性を受け入れて、次に繋げていけばいいのかなと思います。

今年は先述の通り、自分の知らない自分が発見されたのですが、その結果わかったことは、いい歳して人とのかかわり方が下手だな、というか、そういうのを避けて通ってきたな、ということでした。 だから2017年のテーマは最初から人間性のテーマに振り切っていこうと思います。 まだあまりちゃんとまとめていないのですが、「他人へのアウトプット」みたいな感じです。 アウトプットには2つの意味合いが含まれています。 一つは、自分のことを、とくに自分の感情をちゃんと伝えようとする、ということです。伝わるか伝わらないかは相手も関わる問題ですけど、これまでは少なくとも自分の側に、伝えようという意思が弱かったように思います。反抗期とかなかったし。だからいまさらですけど、伝える意思はちゃんと示していこうと思います。 そして二つ目の意味は、相手に何かを与える、ギブをするということです。今年は1年周りの人にもらってばっかりだったので、これからは周りにいろんなものを与えられる人間になりたいなと思います。決して物質的なものだけじゃなくて、情報なのか感動なのかわかりませんけど、何かしらの価値を与えられるように生きていきたいなと思います。

今年も1年ありがとうございました

今年も1年ご覧いただいた皆様、ありがとうございました。 来年はもっとまともなブログ目指して頑張っていきます!

久しぶりに会った部活の後輩。また僕は育てられない。

先日久しぶりに部活の後輩のテニスのプレーを見る機会がありました。2年くらい前、初心者だけどいいものを持っているなと思って、少し目をかけてアドバイスとかしていたりした子なんです。 それで、久しぶりに見たら、ものすごく悪くなっていて(笑)。いや、全然笑えないんですけど、フォームは悪いところばっかり目立つし、プレーでは長所が全く出せていない。今期の成績も全然よくなかったようですが、このプレーじゃ確かに勝てないだろうなというものでした。 過去を振り返ってみても、僕が目をかけた子達って、大体は中途半端にしか伸びず、努力の割に成果が出ず終わっていく子がすごく多いんですよね。またこいつもかって雰囲気になっててちょっと寂しくなりました。昔は厳しくて鬼コーチだったから褒める志向に変換したのです、どっちもダメでした(笑)

実は予想の範囲内でもある

ただ、少し嫌な言い方をすると、こうなることは予想はできていたことでもあります。なぜなら僕が目をかけるということは、放置していたら伸びないだろうな、成長の方針とかコーチングをできる人がいないと伸びないだろうなという人だからです。逆に自分自身でも伸びるだろうなという人は、余計な圧迫なんかせず、練習相手にだけなっておけばよいと考えているので、期待はしてもあまり関与はしません。

マネジメントはあまり信頼していない

これはあくまで僕個人の経験に基づく考えですが、個を伸ばすのにマネジメントとか指導というのはあまり必要ないと思っています。伸びる人間は伸びるべくして伸びるし、伸びない人間は伸びない。マネジメントや指導というのは、個に対するものではなく、全体に対するもの、学校教育的な機能だと考えています。 学校教育的な機能とはどういうことかというと、全体として平均値を保つ機能です。一定の仕組みに従って、一定の水準に達する人を多く作り上げる機能です。この機能の優れているところは、仕組みとして持っている水準は計算できるところにあります。圧倒的な人材はいなくても組織力や全体力でカバーしようという機能です。 逆にいうとこの機能は優れた人材を生み出すことはできないことと、狙った人材を育てることができないと考えています。誰が育つかはわからないけれど、確率的に一定数は育つだろうという面があります。

だからマネジメントや指導は組織としては優れた機能だと思いますが、個人競技や、育つ側の一人称からするとありがたい機能ではないと思っています。また、人数に余裕がある組織でしか達成することができないし、同時に組織の持っているマネジメント力以上の成果が生まれることはありません。 絶対的に優れた仕組みはないし正解も不正解もないので、マネジメントや指導をを批判するのではありませんが、僕自身が比較的変わっている人間だと思うことと、個人競技の道を歩んできたこともあって、好みの問題としてあまり好きではありません。人それぞれ必ず向いているものや得意なものがあるはずです。なのにとある基準とだけ比較されて優劣をつけて、得意な分野で活躍する可能性まで奪ってしまうのはもったいないと思うのです。本人がそれを望んでいるのならまだしも、評価側が勝手に押し付けて決めつけてしまうのは違うような気がしています。

例えば僕自身、大学のテニス部では、始めのうちはずっとダブルスをやっていましたが、一定の水準までしか勝てず、それ以上はまるで勝てるイメージが持てませんでした。それが3年の団体戦の直前、ペアの兼ね合いもあって、シングルに転向したら、勝てました。もともと個人戦でシングルの方が勝てていたので、向いているかもしれないという当てはあったのですが、自分自身で思っている以上に勝つことができました。 部活の先輩はテニスではあまり戦績を残せませんでしたが、社会人になってからマラソンを始め、最近出た大会で10キロを37分くらいで走れたそうです。早すぎて驚きます。下手したらちょっと遅い人が5キロ走るのにかかる時間と同じくらいじゃないですか。向いてるとかそういうレベルじゃなくて驚きます。 わかりやすい例としてスポーツばかりあげましたが、仕事でも同じだと思います。

転職した理由でもあるマネジメント

これは僕が転職する理由の1つでもありました。一般的な規模の大きい企業にいると、キャリアプランというか、出世の道が、管理職以外ないんですよね。どういう経歴でスタートしてしたとしても、最後は必ず管理職なんですよ。自分で実務はほとんどしなくて、役員とかから命令を受けて、それを部下に命令をしてやらせる職。自分自身の仕事は部下の管理に集約されます。だけど先述の通り、僕はマネジメントはほとんど組織の仕組みの影響だと思っているし、一人一人が伸びるかどうかは本人の資質にかかっていると思っています。だからマネジメントだけの専門家は自分はやりたくないと思っていました。マネジメントとかリーダーシップは全く否定しないのですが、その専門家というのはないという考えです。自分もプレイヤーとしてやりつつ、背中で示せるような人間になりたいと思っていました。だからマネジメントの専門職以外、会社の中で価値がないというのはちょっと寂しいなと思っていました。

まとめ

そんなわけで、人を伸ばすのには、叱るかとか褒めるかとかそんなの関係ないし、伸びないからダメだなんてことはないので、得意なところで頑張るのが良いとおもいます、というお話でした。