3.11で卒業式がなくなった時のことを振り返る
今の社会事情で、卒業式や入学式が中止になった人たちはたくさんいると思います。
僕も9年前に卒業式を控えていました立場でしたが、3.11の東日本大震災の影響を受けて卒業式はなくなりました。
その時の気持ちを振り返ってみようと思うのですが、最初に断っておくと「卒業式がなくなって悲しい~どうしてもやりたかった~」という気持ちを持っている人には恐らく合わない内容になっていると思いますので、そのような方には戻る今のうちにボタンを押していただきたい。
卒業式がなくなって、悲しみとかは、ない
冒頭で説明した通り、僕は3.11による卒業式がなくなった者の一人です。その時僕がなくしたのは大学の卒業式ですので、すでに成人していますし、学校とうシステム自体にほとんど思い入れはありませんでしたので、結論から言うと、まったく悲しくなかったし、卒業式がなくなったこと自体はどうでもよかったです。
こんなことを言うと、中高生だったり、大学生活も楽しかった人たちは反発するかもしれませんが、中高の卒業式だって僕は全く覚えていませんし、楽しみににしていた記憶は全くありません。
卒業式が楽しみでやりたかったーなんていう人たちはおそらくスクールカーストでも上位の人達で、クラスでも人気ものだったのでしょう。うらやましいです。
中高も学校の端っこで目立たずに生き、大学は部活にのみ価値を見出していた僕にとって、学校という箱自体はほとんど思い入れはありませんでしたので、学校行事なんてどうでもよかったです。
だから学校というシステムに何の思い入れもありません。
僕にとっての卒業式は仲間との飲み会だった
大事なのは深い仲になっていた友人数人だけで、彼らとは連絡先を交換していたし、実際にその後も交流しているので、最後などという感慨は全くありませんでした。
そんな理由もあって、実は3.11の時の卒業式には、僕は最初から出るつもりはなく、卒業証書だけもらって、友人と酒を飲みながら思い出に話に花を咲かせるつもりでした。
結局卒業式は中止になりましたが、行きつけの飲み屋がお店を開放してくれて、僕らは仲の良い友人たちと酒盛りをすることができました。僕にとってはその酒盛りこそが卒業式だったわけです。
その酒盛りができたからこそ、卒業式がなくなってもどうとも思わないわけで、あの時の酒盛りがなかったら、もしかしたら悲しいと思っていたのかもしれません。
ステークホルダーとの卒業式をしたらいい
小学校から大学まで、15年近くの学生生活を送るわけですが、その中で今でも交流がある人なんて一握りです。だから集まって何かをすること自体に僕はほとんと価値を見出しませんし、それは今でもそうです。
だから僕が言いたいのは学校が用意した学校の卒業式にこだわらなくていいよねってことです。
卒業というのは人生にとっては大きな節目になります。自分の中でどう区切りをつけるのか、それはとても大事なことだと思います。だからその人にとっても卒業式は、あっていいと思います。
もっと言えば、卒業する側だけでなく、それを取り囲むステークホルダーにとっても一つの区切りになります。
だからいつか、ステークホルダーとの卒業式をしたらいいと思うんです。今オンラインでやってもいいし、落ち着いてからやってもいい。
結論:卒業式をやりたいのは誰か
いやーしかし、なくなった卒業式の時のことはめちゃくちゃ覚えてるのに、他ちゃんとやったであろう卒業式は全く覚えてない。本当に会ったのかと言われてYESと答えられないくらい覚えてない。卒業式以外のことは覚えてるので、単純に年数の問題じゃないのは間違いないです。
まあつまり僕がいいたいのは、卒業する側からしたら、別に体育館に全員集まって卒業証書渡されるとかどうでもよくて、思い出の共有できる仲間たちとの思いでを大切にしようよってことだし、必死に卒業式や入学式開催しなきゃって思ってる先生たちには、それは先生たちのためであって生徒的にはなくなったっていいですよ、ということですかね。