「さらば、全てのエヴァンゲリオン。」というメッセージ
シン・エヴァンゲリオン劇場版:||、見ました。
僕は考察厨ではないし、内容について熱く語りたいという願望もないので、この作品のメッセージとして感じたことをただ綴ります。
考察もしないし内容を語らないけど、ネタバレがないとは言えないので、ネタバレされたくない人は映画を見てからにしてほしい。
さらば、全てのエヴァンゲリオン。
「さらば、全てのエヴァンゲリオン。」というのは、本作のキャッチコピーである。
劇中では、シンジ君が「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」という言葉を発している。
そして、これがシンプルにそのまま監督からのメッセージなんだろうなと感じた。
劇中では、「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」=エヴァンゲリオンという存在のいない世界へいくよ、という意味での別れの言葉だった。
メタの世界では、「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」=エヴァンゲリオンという作品に対する別れの言葉なんだろう。
つまり、「エヴァこれで完全に終わるよ」、「君たち(視聴者)もいつまでもエヴァに囚われるの終わりね」というメッセージなんだと思う。
さらば、「全ての」エヴァンゲリオン。
キャッチコピーに「全ての」という言葉が入っていることも、僕ら視聴者がエヴァという作品から離れるための意味なんだと思う。
もし新劇場版だけが綺麗に完結しただけだったら、アニメや旧劇で囚われた人は囚われたままになる可能性もある。
だけどそうじゃなくて、とにかくエヴァって作品、シリーズをひっくるめて「全ての」エヴァを過去のものにしなさいよと。
それを感じさせるのが、劇中で明らかにテレビシリーズや旧劇と思われるシーンが出てきて、そしてそこに新たな言葉が添えられたことだと。
キャラクターにも僕ら視聴者にもずっと与えられていたモヤモヤしていたものを、解消していった。
もちろん時間がないから全部が全部は解消できないんだけど、でも「これでキャラクター達はかなり救われたでしょ?だからもういいっこなしね」っていうメッセージなんだと思う。
お友達のアスカ好きの人も、惣流アスカラングレーもオタクも救われたって感想を言ってたのを見た時に、改めてメッセージの意図を感じた。
大人にならなきゃね
そう考えると、シン劇というのは、非モテオタクへの熱いメッセージも含んでいて。
シンジ君は大人になったよ、君たちも早く大人になりなさいよと。
妻を持ち、子をなし、NEON GENESIS新しい世代につないでいきなさいよって。
そんなメッセージを感じたよ。
それを象徴するかのように、次世代を担う、Q以前のメインメンバーの子供たちもたくさん出てきたし。
正直シン劇を見た時。
僕は泣くでもなく、考察にわくわくするでもなく。
ただただ綺麗な終わりだなって感じた。
エヴァっていう作品においてこんなに綺麗に終わることなんて、全く想像できなかったから。
拍子抜けしてしまったといってもいいくらいだった。
でもそう感じられたのは、監督からのメッセージを受け取れたからだと思っている。
子供心を忘れないということと、大人になるということは、実は相反する矛盾することではない。
自分の責任すら自分で負えない人間が子供であり、他人の責任すら負える者が大人なんだということだ。
そんなことを、僕はゲンドウやミサトさんの背中に思った。
さようなら、エヴァンゲリオン
僕らがこれからすべきことは、考察でも感動でもなく、大人になることだと思った。
だから僕は大人を目指すよ。
エヴァンゲリオンという作品を胸の内にしまって。
エヴァンゲリオンのない世界を進んでいく。