新生活の始まりに聞いた音楽

転職して1週間が経ちました。 元気にやってます。

今回は新しい職場で働き始める少し前に、新生活を思い描きながら聞いていた音楽を紹介していきます。Twitterで呟いていた様子とともにお届けします。写真があるものは散歩しながら聞いていた名残です。

Love wing bell/μ's

fullsizeoutput_a ♪大好きは大切なんだ 素晴らしいことできる 生まれ変わろう 次のステージ探しにいこう さあ明日はどんな私 ラブライブの曲です。僕の好きな凛ちゃんがメインになるストーリーの時の曲です。新しいステージに移ろうという時にぴったりの曲です。

ユメ・ミル・ココロ/伊藤かな恵

fullsizeoutput_c ♪ないないない私じゃない 精一杯背伸びしよう 上を向いて 汗を拭いて まだ走れるよ 大きくなってわかった もっとすごいユメだらけ 昼も夜も消えないからね 私には見える 伊藤かな恵ちゃんの曲です。大きくなったらもっとすごいユメだらけだったというのがグッときます。夢って大人になったら失うものなんかじゃないんですね。前に前に進んでいこうという力強さを感じる曲です。

クローバー/豊崎愛生

fullsizeoutput_8 ♪流れてく季節の中で 大人になって 忘れてしまったものを 取り戻すように 手を伸ばした ほらね まぶた閉じれば浮かんでくるの あの日のままのゆめが 大事なものはここにあるから 迷わずに歩いてゆこう いつの日にか まだ知らない 私へと 今年ライブにも行った豊崎愛生ちゃんの曲。ふと思い返すと、淡々と過ぎていく日々の中で忘れてしまったものがあることに気づく。大人になるというのは、聞き分けがよくて割り切ってしまうことなんかじゃないんだと思うんです。

Gの閃光/ハセガワダイスケ

fullsizeoutput_9 ♪明日のことなんてわからないからって 動かないままなら始まらないから 立ってみて歩く スタート切って走る その先に 未来という閃光がある 元気でいられるなら 元気でいられるなら トライする チャレンジで 運だめしに賭けてみる 出来ると思ってない 出来ると思ってない だからだろ チャレンジだ 今だけがその時だ GのレコンギスタのOPです。わからないけど未来に向かってチャレンジしていこうという曲です。思い行きって新しい世界に挑戦しようという時にぴったりの曲です。

トモシビ/Suara

fullsizeoutput_b ♪僕が描いた 未来たちはきっと 叶えられるのを待っている 希望だけでは終わらせたくない この弱さを超えてゆこう 今日も一歩踏み出せたと そんな日々を過ごしたい 誰にだって前向きには なれない時もあるけれど もしもトモシビがくすぶって夢や自分さえ見失う時には 誰かが信じていてくれる僕を 信じてみよう 決して消えないトモシビを燃やし続けたい不安定な心に 未来を明るく照らせるのはきっと 自分でしかない とても大好きなSuaraさんの曲です。心が疲れた時はacoustic versionを、今回のように元気よく進んでいく時はオリジナルのバージョンが良いです。

♪の国のアリス竹達彩奈

fullsizeoutput_7 Hello..!! 新しい私 Hello..!! まだ知らない私!! 今この瞬間に 生まれたものを信じて あやちの曲ですね。この曲のこの歌詞の部分がとても好きで。ハロー新しい私。これは始まりの日の朝に聞いていました。というか転職決まってからずっとこのフレーズがずっと頭の中を流れました。

全部アニソン声優さんの曲ですが、趣味なので仕方ないのです。 そんなわけで、私は元気です。

実業団引退試合〜団体戦というおもしろさ~

先日転職するということを書きました。僕は会社でテニスの実業団にも所属していたので、仕事だけではなく、その活動も終了することになりました。 そしてちょうど秋にリーグ戦の時期だったので、リーグ戦最後の試合が僕の引退試合になりました。 実業団というとちょっとすごく聞こえるかもしれませんが、ただ企業に勤めている人でスポーツをやっている人が集まっているだけなので、上位層はプロ一歩手前くらいの人がいることもありますが、下位の方は下手したら初心者みたいな人も出てくるのが現実です。

弱小企業に所属して

そんな実業団の中でも所属会社数が当然多い東京都で、万年最下層なのが僕の会社でした。 人数が少なく、僕以外は学生時代にバリバリやっていたような人はいなかったし、若い人もいなくて入社してから6年弱経ちますがいまだに僕が一番若いままです。それどころか時々グループ会社の役員とか定年退職後の再就職した方にまで出場してもらうような有様でした。 そんな感じなので僕が入った時点で、最下層のリーグですらほとんど勝てない状況でした。 1つの相手との戦いで、シングルス3試合、ダブルス2試合の計5試合が行われるのですが、勝てても1試合とかそういう感じでした。

何度かランクアップした

僕は、下の方とはいえ一応体育会でやっていたので、最下層のリーグくらいだとまず負けることはありませんでした。何とかもう一人勝てる人がいたので、その人と2人でシングル2本を取り、さらに実業団はシングルダブルスを兼ねることができるので一緒に組んでダブルス1本を勝って、計3勝という形で勝利を重ねていました。 結果として何度か2ランクくらいアップすることができました。2ランクくらいすると僕もダブルス勝てなくなったりするので、あっさりランクダウンしましたけど笑

団体戦という面白さ

そんな状況でなんでやっていたのかというと、決して自慢がしたいわけでもオレツエーしたいわけでもないんですよ。 団体戦って結構面白いんですけど、社会人になると団体戦をする機会なんてほとんどないんです。 あっても遊び感覚のものが多かったりして、ちゃんとガチで勝敗のためにやる団体戦はほとんどないんです。 団体戦は何が面白いかって、自分が勝っても団体として勝てない時もあるし、逆に自分が負けても団体としては勝つこともあるんですよ。 そしてぼっちではないこと。味方も相手も複数人がいて応援も必然的に発生するので、個人戦の時みたいに自分だけぼっちになることはない!・・・・ぼっちは寂しいんですよ・・・

それと一番面白い理由はちょっとエゴになっちゃいますけど、プレッシャーです。個人戦は自分だけの勝敗なので、勝っても負けても自分だけの結果ですし、諦めるのも簡単です。だけど団体戦になるとその勝敗は自分だけのものではありません。出場している選手の数だけじゃなくて、所属している人員全員を背負って戦っているようなものです。実業団でいえば2勝2敗で回ってきた時の自分の試合なんて相当に痺れます。実力的には間違いなく勝てる相手に対してもプレッシャーを感じますからね。やっぱり何のプレッシャーもないことばかりやっていも面白くないなと個人的には思います。

引退試合の結果

ところで引退試合の結果なのですが、今回は春に市民大会に出て実業団をさぼっていたので最下層での戦いでした。 ということで上述の通りあっさりと勝って終わりました。 やっぱり強い相手と戦うっていうのも大事ですねw 強い相手と団体戦、これが最高だ!笑

てんしょく!

ちょっと前のまんがタイム風の見出しにしてみましたが、この度転職することにしました。 すでに有給消化ニート期間に入っていています。

休みは計画的にとったほうがいい!

結婚式が毎週入っていたりその他微妙に予定が入っているので、休みといっても海外旅行とかは行けず。 それどころか虫歯は先に直しておかねばならないし、飲み会は入るしで、仕事してる以外は日常生活と全然かわりません。 個人的にはもうちょっと休みがあってもよかったかなと思うのですが、要るといっていただけるのはありがたいですし、どっちかと言え今は新しい労働にわくわくしているのでよいかな、という気持ちです。 というかこれ以上休むと社会復帰できそうにない・・・

休みってのは計画性を持って取らないとだめだということを学びました。 スケジュールが全然まく組めなくて有効活用できません。

頭金くらいは貯めておくべき

家から職場までの時間は今とほとんど変わらないので、引っ越しはしなくて良さそうですが、次の職場は私服でいいので私服買わないと、着ていく服がありません。 さらに2週連続のご祝儀+二次会で出費がかさむのなかなか辛い。 頭金くらいは貯めておく重要さを学びました。

やりたいことは急に増えたり変わったりしない

自分のことを振り返ってみると、長時間労働とか休日出勤はなかったので、もともとやりたいことはだいたいやっていたため、休みだからと言って特にしたいことがありませんでした。 結局やりたいと思ったことが「テニスがうまくなりたい」だった時には、我ながら笑うしかありませんでした。 一番力を入れてやったことも動画の作成でした。 人間ってほんと人それぞれですね!

「俺らも苦しい環境に耐えて育ったんだからお前らもそれくらい耐えろよ」

どうしてそういう認識になっちゃうんだろう、と思うのです。

最近電通の入社1年目の社員が過労死認定されたことは、世間にも大きく取り上げられています。 広告代理店社員らによる広告代理店ビジネスの実態というようなブログもよく目にします。 派生して大学教授も100時間の残業程度で過労死するのは情けないというコメントで炎上していました。

でも世間一般の中間管理職というかおっさん達は、結構同じような認識の人が多いんじゃないかと思うんですよ。 死んじゃったからこそ、「残業しすぎはまずいよね」という風潮になっている気がするのですが、残業程度で文句言うなとか、上司に厳しいこと言われるのは当たり前だろうとか、そのくらいのことを思っている人は多いと思うのです。 それらの根底にあるのは「俺らも苦しい環境に耐えて育ったんだからお前らもそれくらい耐えろよ」ということだと思います。

どうして嫌なことを他人にさせるのが当たり前なのか

私も今の会社でこんなことを言われたことがあります。 「営業しに行って水かけられたこともあった」 「受話器にガムテープで手を固定されてアポが取れるまでひたすら電話させられた」 「夜上司に命令出されて翌日の朝までに用意しなきゃならず徹夜でやった」 「毎日怒られて耳が片方だけ聞こえなくなったことがあった」 だから、お前もそれくらい耐えるのが当たり前だというわけです。

正直に言って私はこれには大変疑問がありました。

例えば営業に行って水をかけられるのも、身動き奪ってまで電話しないといけないのも、営業方法や営業力の問題ではないでしょうか。 例えば夜に命令して翌朝にできてなきゃいけないほど緊急の仕事がどれだけあるでしょうか?そうなってしまうのも含めてマネジメントや計画性の問題じゃないでしょうか。

そりゃ全てが都合よくいくとは限らないので、そういうことを完全にゼロにするのは難しいかもしれません。 でも、それがどうして「当たり前」になってしまうのだろうか。 自分達だって「良くないこと」だと思って経験してきたはずなのに、どうしてそれを「お前もやれ」と言ってしまうのだろうか。自分がされて嫌なことをなんで当たり前に他人に押し付けるのだろうか。

結果が明確な世界は改善しやすい 例えばスポーツとか

ビジネスの世界はこういうことに関して遅れているというか、タブーが強すぎるような気がします。 私が疑問を持つようになったのはスポーツをやっていたからです。 スポーツの世界では、少しずつ変わってきています。

プロ野球選手なんかの有名な話で、高校時代に練習中は絶対に水が飲めなかったので、こっそり抜け出してトイレの水を飲んだりしていた、という話があります。 そのプロ野球選手は自分が3年生になっと時にそれらを是正したと言います。 現在では社会的に水分補給のできないような環境はほとんどないと思います。 他には練習も本番も全てを気合と根性で乗り切ることは減りました。 野球で言えば2013年の日本シリーズで、田中将大投手が160球完投した翌日にも登板した際にはとんでもないことだと言われましたが、何十年か前には、連日の先発や完投なんて当たり前のようにやっていたことです。

私も大学の時は体育会系としてスポーツをやっていましたが、理由のよくわらないルールや伝統がたくさんあることに疑問を感じていました。 一番に感じたのは先輩が「声を出せ声を出せ」とばっかりひたすら怒鳴ってきたので、本番でもひたすら声出すことだけ頑張って、声も枯れるほど叫び続けてプレーしました。その結果、それはそれはひどい負け方をしました。明らかに勝てる試合を落としました。その時にその先輩が言ったのは「お前は確かに声を出しているがなんか違う」だったんですよ。なんじゃそりゃと思いました。どんな声を出せばこの試合に勝てたのか、違う。この試合で負けたのは絶対に声のせいじゃないし、もっと試合中にできたことがあった。私は試合に勝つために必要なことはなにか、全然考えていなかった。「声を出したくらいで勝てるなら苦労しないよ」って思いながら先輩への反抗心ばかり優先してしまった。それは大変に後悔したので、その日以来、意図的に声を出すという行為をやめました。自然に出るものだけ。極端かもしれませんが後輩にも声を出せというのをやめました。結局私が怒られていたのは勝てないから何でもいいから怒られていただけだったのだと思います。勝てるようになれば、そういう風に頭ごなしに怒られるようなことはなくなりましたから。

スポーツの世界は結果が明確ですから、一切水を飲まずに何十時間の練習に耐えたとしても、それで成果が出なかったら間違っていると認識されやすいですし、逆に水を飲みながら短時間しか練習しなくても、それで成果が出たら文句は言えません。 スポーツの世界はメディアの拡大によって間口が広がったし、興行性が高まった結果わからいやすい数字や結果が注目されるようになったというのも理由にあるように感じます。 そういう意味では 結果を追い求めない教育的なものは、あんまり改善されないのかなと思います。

武勇伝が生み出す我慢の継承

結局、どうして 「俺らも苦しい環境に耐えて育ったんだからお前らもそれくらい耐えろよ」ということになるのか、については、「お前も耐えろ」の部分が重要なのではなく、「俺らも苦しい環境に耐えて育った」が重要なんだと思います。 つまり、武勇伝なんです。自分はこんなに頑張りましたという。 思い出は美化されやすいので、武勇伝は気持ちよいのです。大変に。だから当時は嫌なことだったはずなのに、今振り返ると気持ちよいから、あたかも良いことであるかのように感じてしまう。それで、「あの苦しい時代があったら成長した」なんて言ってしまうんだと思います。 苦しい時代が成長に寄与したのは事実かもしれませんが、それがなかったら成長しなかったかといえばそれは断言できないと思います。他人に厳しくされないと成長もできないとすれば、それは本人や環境に問題があると考えたほうが良いと思います。他人に厳しくされてやってるだけの人は、好きで全力でやってる人には、そうそう勝てないと思います。

そういったことがあるので、私も部活の後輩と会うときはなるべく武勇伝を語らないように、どうすれば自発的に頑張る環境を作れるかということを考えるようにしています。 自分が嫌だと感じたことを美化して後輩にもさせるようなことをしたくないというのもそうですし。 技術が進歩すれば世の中の常識や最適解も変わっていしまう。パソコンもなかった時代の仕事の常識や最適解が、スマホが普及しきった今現在も常識や最適解のはずがないと思うのです。 そんな当たり前のことを無視して、「俺らも苦しい環境に耐えて育ったんだからお前らもそれくらい耐えろよ」なんていう大人にはなりたくないと、私は思います。

自分が面倒くさい人間になったなあと思った瞬間

昔書いていたメモを漁っていたら、ラブライブ一挙放送を見た後、自分の学生生活を振り返った感想のメモがありました。全然アニメについての感想ではないのが笑えます。 ちょうどラブライブサンシャインも放送していますし、今日はそれを書いていきます。

ラブライブの1期2期の一挙放送を見終わった後、印象的だったのが、卒業式を迎え、最後に校舎を回るシーン。みんなで校舎を回りながら学生生活のいろいろな場面を思い出していく。 僕の場合を思い出してみると、校舎を一通り回ったり、思い出に浸るようなことはなかった。大学はかろうじて毎日通っていたテニスコートにこそ思い出はありましたが、小・中・高は全然思い入れに浸ることはなかったし、感慨も一切なかった。おそらくそこでの生活の中で、本気になって物事に取り組むとか、全力で取り組むとか、そういうものがなかったからだと思う。 僕が本気になって何かに取り組んだのは大学の時にテニスに取り組んだくらいだと思う。おかげで今でもわずかにでも連絡を取る可能性があるのは大学のテニスの時の友人くらいです。

逆にいうと大学の時にテニスに本気で取り組んでしまった。この期間に僕は変わることになった。高校までは完全にネガティブで引っ込んで生活していたのに、大学ではポジティブになったし好奇心旺盛になった。結果充実感の沸点が高くなってしまい、普通に社会人をやってる中ではなかなか充実感を感じられない人間になってしまった。充実感に飢えた人間になってしまった。 それはいい面もあり悪い面もあり。 一つ言えるのは間違いなく面倒くさい人間になった笑 いわゆる普通の幸せ?働いて結婚して30後半でマイホーム建てて子供できて~みたいなのが幸せだと感じられなくなってしまった。 本当に生きづらい人間だなと自分で思う。

なんせラブライブという萌え系のアニメを見たときの感想がこれだからね笑

カトモ、やってみた。から1年。

1年ちょっと前のこと。

いつもいつも髪の毛を切るのどうするか考えていました。 男だしスポーツ系なので、「短めで」の一言しかオーダーしたことがないくらいには、髪の毛にこだわりがありませんでした。誰ですか、だからモテないんだとか言った人は。

違います。モテないのは顔です。 余計なお世話だよ笑

当時は土日は遊びに使いたいから会社から帰りに寄りやすいところ、くらいにしか考えていませんでした。 そんな時、ふと頭をよぎったのが「どうせこだわりもないんだし、だったらいっそ新人とか研修中の子の練習台にでもなったほうがよっぽどいいな」という思いでした。 冷静に考えて、美容師がデビューしてお店で実際に人の髪の毛を切るまでに、相当数の人間の髪を切って練習するはずです。マネキンだけというわけにはいかないでしょう。ということは男だろうが実際の人間の髪の毛を練習で切ることができるってのは一定のニーズがあるはず。

と思って適当にネットで調べてみたら、

ありました笑

カットモデルのマッチングアプリに出会う

僕が見つけたのは、いわゆる「マッチングアプリ」というやつでした。 マッチングというのは2つのものをつなぐということでありまして、マッチングアプリで調べればまず第一に上がってくるのは出会い系アプリ。

その中で、大雑把に言えば、「髪の毛を切られたい」という人と「髪の毛を切りたい」という人をマッチングしてれるアプリがありました。

僕が使ったのは「カトモ」というアプリです。 あ、言い忘れましたけど、これ本当にステマでもなんでもなくてただの体験記です。むしろちゃんと取材されていいのでお金ください笑

このアプリは、上で説明したようにカットモデルと美容師をつなぐマッチングアプリ。 カットモデルなんていうと大げさだけど、要はカットしてもらえるってことです。 美容師側には「実物の人間の髪の毛で練習できる」というインセンティブがあります。 カットモデル側は、無料または割引でカットしてもらえるというインセンティブがあります。

登録している美容師は研修中の人だけでなく、新しい髪形の練習等の目的で、すでにプロとしてデビューしている人もいます。肌感覚ですが、だいたい研修中の人は無料で、デビューしている人は割引での対応でした。

結論として、僕は1年ほど前にこのアプリを通じてカットしてもらった人を、その後も指名することになりました。

カットモデル、やってみた

1年ほど前、このアプリを通じて、一人の美容師(たまご)にカットしてもらうことになりました。 アプリ上でメッセージのやり取りをするのですが、返事も早いし、丁寧だし、基本がしっかりしているので、実際に会う前の段階でちゃんとした対応をしてもらえそうだなと感じました。 マッチングアプリは、あくまでマッチングするための場を提供するアプリでしかないので、相手がどういう人かによってまったく違う結果になったりします。それこそカットモデル側も美容師側もドタキャンのリスク覚悟の上で約束するわけです。 この人の対応はマッチングアプリに登録している人の中では相当良いほうだったんじゃないかと思います。 ラインですら忙しいし返事は明日でいいかってなったりするじゃないですか。そういう雰囲気がなかったので。

それで実際にカットしてもらったわけですが、しかも思っていた以上にうまかった。と言っても僕は技術的なことはさっぱりわかりませんので、スムーズさとか、これまで切ってもらった人と比較して主観的にでしかないのですが。 どうやらもうそろそろデビューできるみたいだったので、それでうまかったわけですね。 後はそれぞれお客さんごとに異なる要求とのすり合わせとか細かい作りこみが課題だったようです。

カットされている間、僕も色々と教えてもらいました。 例えばやっぱり練習の基本はマネキンみたいです。そう思うと、実際の人間で練習できるカットモデルの需要というは十分にあるんだと思います。 修行期間とか内容は完全にお店によってまちまちなんだそうですが、そこのお店はしっかりしている分期間も長めとのこと。

カットが終わった後は現役のスタイリストのチェックが入ります。 後ろ側であってもどの角度から見ても整うように切っているようで、そこまでしてるのかと思うと、今まで切るのもセットも適当で申し訳なくなりました。反省しました。

カットモデルからお客へのクラスチェンジ

そんな経緯でしたが、僕はその美容師(たまご)を大変気に入ったわけです。 技術うんぬんはさっぱりわかりませんが、仕上がりがすごくしっくりきたのです。 僕はずいぶんな天然パーマなので、それ以前に、コントロールができず「とりあえず短く」という魔法のオーダーをしていたら、だんだんボーズになっていきました。そのためこれまでほとんどしっくりくるという経験がなかったので、それで大変気に入ったわけです。

その後間もなく無事デビューすることができたようで、以降僕はちゃんとした客さんとしてお金を払ってカットしてもらっています。

なんかお店探しのマッチングみたいな使い方になっちゃったけど、それもまた一つの使い方かなあと思っています。 美容師側も、デビューしたばかりで指名してくれる客がゲットできたのだから、相当ありがたかったのではないでしょうか。どうでしょうか。

まとめ

そんなわけで、カトモを使ってから、気が付けば1年が経過していました。当時デビュー前だった美容師(たまご)も、今ではすっかり先輩になり指導する立場に。いまだに一番下っ端の僕とは大違いです笑

1年が経った区切りで体験記を書いてみました。 カトモ自体はあくまでカットモデルと美容師のマッチングアプリなので、使い方によってはずっとカットモデルとして渡り鳥をすることも可能かもしれません。そうしたらずっとカットされる金額が無料になりますから、1000円カットなんて比較にならないくらいお得ですね。

実際に使ってみて、そしていい出会いに恵まれたものとしてこう言わざるをえない。

みなさんも一度、いかがですか? (繰り返すが一切ステマでも隠れてないマーケティングでもない笑)

ぶれない思いが実を結ぶ ―広島カープ優勝―

2016年のプロ野球セ・リーグは、広島東洋カープが25年ぶりのリーグ優勝を果たしました。 僕はカープファンではないので、、カープファンの人とは想いが全然違うのですけれど。一人の野球ファンとして感じたことを書いていきます。

カープで育ち、外へ出て、再び戻ってきた2人の抱擁

カープファンではないとは言いましたが、黒田投手と新井選手が泣きながら抱擁したシーンを見たときは思わず涙が出てしまいました。 carp 黒田投手は広島カープを経てメジャーへ挑戦すると、5年連続2桁勝利を達成するほど活躍。2014年末にはメジャーの複数球団から年俸20億円近いオファーが提示されながらも、それを蹴って年俸4億の広島カープへ復帰しました。広島カープ愛が強く、「まだやれるうちにカープに戻って恩返しがしたい」という思いでの復帰。人生はお金ではないという美談で語られがちですが、なによりも黒田投手のカープへの思いの強さを感じさせますし、それだけ広島カープという球団が魅力ある球団だと感じさせます。(黒田投手のカープ復帰会見 ) 一方、新井選手は黒田選手がメジャーへ移籍したのと同じ年にFAで阪神に移籍、カープファンから裏切り者とブーイングを受けたこともありました。2014年末に阪神から事実上の戦力外通告の形で大幅減俸を提示されると、古巣カープが獲得の意思を示したことでカープへ復帰。こちらも阪神の提示額よりもさらに低い年俸でのカープへの復帰、それも黒田と同じ年の復帰。新井選手はカープ復帰後、多くの試合で4番を務めるほど活躍。今年はここまで打点リーグ1位と躍動し、実力で再びカープファンに受け入れられました。 若くなったチームの中で、そんな経緯を超えてきたベテラン2人が活躍し、そして優勝して抱擁をする。カープファンでなくとも熱くならないわけがない。

そして今回の優勝は、たくさんのぶれない思いがあったからこそ、成し遂げられたのではないかと思います。

ぶれない思い―球団―

広島東洋カープというチームは、現在でも特定の親会社を持たない、市民球団の流れを汲む特殊な球団。厳密な市民球団ではないものの、特定の企業に全面的な依存をしていません。 広島は1945年8月6日、世界で初めて原子爆弾が投下された場所。それから5年後の1950年にカーププロ野球団として設立されました。広島カープという球団は、ただの野球チームには留まらず、広島復興のシンボルでもあります。だからこそ、広島カープは、深く地域に根ざし、広島の人に愛されているのだと思います。 広島カープは、特定の企業に依存しないため、金銭的に余裕がなく、FAで他球団の強い選手を獲得することはなく、自前で選手を育成してきたチームです。むしろFAで有力な選手を流出していったチームでもある。松田オーナーが改めてそのポリシーについて語っています(Yahooニュース)。 しかし僕は、「お金」という要素だけではなくて、球団設立の背景も大きく影響しているのではないかと思います。たくさんお金をかき集めて、たくさん強い選手を獲得してきて、それで優勝することはできないことではない。だけどそうじゃなくて、広島カープと想いを共にする者が集まって、それで優勝するんだ、自分たちで発展していくんだ、そういう思いもあるのではないかと思います。手段を選ばず勝つことだけが正義ではない、その思いがぶれなかったからこそ、広島の人達は、カープのファンは、負けても負けても支え続けたのだと思います。 実際に優勝を決めた10日の試合のスターティングメンバーはこの並び。 1(遊)田中 広輔 2(二)菊池 涼介 3(中)丸  佳浩 4(一)新井 貴浩 5(右)鈴木 誠也 6(左)松山 竜平 7(三)安部 友裕 8(捕)石原 慶幸 9(投)黒田 博樹 先述の黒田投手と新井選手以外は全員がカープの生え抜き、その2人もカープで育ち復帰したものと考えれば、全員がカープの生え抜きのようなもの。実に広島カープらしい優勝だったと言えるのではないでしょうか。 黒田投手が優勝を決めた試合の勝利投手になったというのも、不思議ではない巡り合わせのように感じます。 ネットでは「戦力が整っているから勝って当たり前」なんて負け惜しみ(?)を言っている人もいましたが、戦力をお金で買ってこずに整えるなんて、とても当たり前にできることではない。カープが選手を育てるという強くぶれない思いをもっていたからこそ、育ったのだと思います。僕は他球団ファンですが、こんなに若手が育つ姿まるでイメージできませんよ。

ぶれない思い―監督―

昨年からカープの監督は緒方監督になりました。昨年はネットなどでもよく采配が叩かれているのを目にしました。 それが今年は目にしなくなったなと思っていたのですが、監督は、意識して改善していたようです(Yahooニュース)。 緒方監督もまたカープで育ちカープを愛する一人。だからこそ「優勝」というぶれない思いのために、思い切って手段や過去の自分の方針を変えたのだと思います。 記事にある「前時代的な根性論を捨て、目線を下げた」。言葉にすると簡単で当たり前のように感じますが、それを実際に行うのは難しいと思います。日本の企業を見てみれば、未だに気合や根性ばかりです。ちょっと失敗しただけで、ねちねちと激しく怒られますよ。対して緒方監督は、11日にプロ初登板し滅多打ちされた塹江投手には「1個アウトを取れたやないか。次は2つ取れ」と言ったそうです(Yahooニュース)。

僕が緒方監督が何よりカープの優勝を望んでいたと感じたのが監督インタビューのセリフでした。 「広島の、全国のファンのみなさん。お待たせしました! おめでとうございます!」 ありがとうでも、やりたましたでもなく「おめでとう」。監督自身もまた、広島カープの優勝を待ち望んでいた一人だと強く感じました。

ぶれない思い―選手―

最後に黒田投手の手記(Yahooニュース)から。 「07年までの苦しかった時代。新井と僕は何かを変えたかった。でも、力が及ばなかった。お互い、チームを離れ、厳しい環境で生き抜いた。出ていった者が偉そうには言えないが、外を見たからこそ学び、経験できたこともある。同時期にカープに戻ったが、考え方はブレていない。僕たちの野球観は間違っていなかった。この優勝でやっと証明できる。自己満足かもしれないが、今はそういう気持ちだ。」 最初に触れように、黒田投手は巨額なオファーを蹴って広島に戻った時に、「まだやれるうちに戻って恩返ししたい」と言っていました。それくらい、広島カープの優勝を願っていたのだと思います。

深く愛されるチーム作り

もちろんこれだけじゃなくて、「ブラウンが耕し、野村が種を蒔き、緒方が咲かせた」という方もいます。そういう組織作りの部分もあったとは思います。 「そんなんじゃねえよ!」と思った方ごめんなさい。 でも僕はカープファンではないので、「他球団ファンが見た広島カープの優勝」ということで許していただきたい。 僕が一番に感じ、一番に言いたかったことは、「こんなにもファン、選手、監督、球団関係者、多くの人に深く愛されるチームは、なかなか作れるものではないし、正直羨ましい」ということです。 スポーツだから、やっぱり勝たないとダメなんだけど、じゃあ金出してとにかく勝とうでもなく、金がないし勝てなくても仕方ないでもなく、自分達にできることを精一杯やって、工夫して、何とか勝ってやろうという、そういうぶれない思いだったから、人々に価値を与えていたと思うし、今回実を結んだんだと思います。 僕も自分の中に、ぶれない思いを強く持とうと思いました。

広島東洋カープ、リーグ優勝おめでとうございます!